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– Today’s writer –
名前/住まい
大福(20代前半) / 愛知
今回ご紹介いただく国は?
アメリカ オレゴン州
滞在していた期間は?
2018年1月~12月
アメリカに来て私を泣き虫にさせた素敵な出会い
私は普段から引っ込み思案で人見知りも激しい方なのですが、どうしても本場で英語を学びたく、不安を抱えながらもアメリカへの留学をすることを決意しました。寮に住みながら現地の大学へ通っていたのですが始めは向こうでの生活に慣れるのに精一杯で、ただただストレスが溜まっていく一方でした。
そんな私の生活の面倒をよく見てくれたのが、同じ大学で日本語を学ぶ二つ上のアメリカ人男性でした。彼はある程度日本語を話すことができたので私にとっては本物の救世主のような存在でした。
私の生活のためスーパーマーケットへ連れて行ってくれ買い物に付き合ってくれたり、おすすめのレストランでご飯を食べさせてくれたり、本当にお世話になっていました。また彼は日本語を勉強中、私は英語を勉強中ということもあり、お互いにそれぞれの言語で会話をしてみたり宿題を教えあったりと協力して日々勉学に励んでいました。
そうして毎日のように一緒に過ごしていくうちに互いに惹かれあい、お付き合いさせていただくようになりました。まさか自分が留学中に、また私の人生の中で外国人の方とお付き合いすることがあるなど思ってもみなかったので衝撃的かつ幸せな出来事でした。
私が彼とお付き合いを始めたのは私がアメリカへ来て二か月もたたない頃でした。アメリカでは気軽に恋人を家族に紹介することが普通なようで、私もすぐに彼の家族に会わせてもらいました。彼の両親は離婚していたようでお母さんの方のみにお会いさせていただきましたが、本当に、これでもかというほど優しくて素敵な方でした。
この人が彼を産み、育ててきたのだというのが納得でした。私はすぐに彼のお母さんのことも大好きになりました。その日から私もお母さんと連絡を取り合うようになり、とても仲良くさせてもらいました。
そうして私の留学生活も残り半分になろうとしたころ、彼の卒業も近づいていました。彼は将来外国で教師になりたいという夢を持っており、見事その道への進路を獲得していました。
希望は日本で働くことでしたが、残念ながらそれは叶いませんでした。彼が夢を掴めたことは自分のことのように嬉しかったですが、同じように寂しい気持ちもありました。
彼と離れ離れになり、次にいつ会えるかがわからないからです。就職先が日本国内であれば希望はありましたが、そうでないとなれば不安を隠しきれませんでした。しかし彼は持ち前の明るさで私を励ましてくれました。本当は私のほうが明るく彼を見送ってあげなければいけない立場なのに、正直情けなかったです。そうして彼は大学を卒業し、アメリカを発つ日を迎え、私も覚悟を決めました。
彼の旅立ちの前日、私は空港から近い彼の家に泊まらせてもらい、翌日はそのままお見送りをするため彼のお母さんと三人一緒に車で空港へ向かいました。最後くらいは笑顔で…と思っていたのですがやはり無理でした。
初めにお母さんが泣き出し、彼も泣き、私も泣かずにはいられませんでした。それからまた絶対に会おうと約束をし、お別れをしました。
彼の姿が見えなくなるまで、私たちは大粒の涙を流しながら手を振り続けました。
私はその後もしばらく泣き止むことができず、お母さんが私を抱きしめながら「大丈夫、大丈夫よ。あなたは強い子だから。」と元気づけてくれました。
きっとお母さんの方が辛くて寂しいはずなのに私のことを気にかけてくれ、その優しさにも涙してしまいました。
ようやく落ち着きを取り戻しお礼を言い、もう大丈夫だから一人で寮まで帰れると伝えると、それはいけないと首を横に振られました。何故かと尋ねると、「あの子が、あなたをちゃんと寮まで送っていくように私に頼んできたのよ。それに私も今のあなたを一人にはさせられないわ。」と言うのです。
これを聞いて私はまたも涙を流してしまいました。今度は嬉し涙でした。この親子はなんて心が温かく優しいのだろうと思いました。私はこの二人に出会えて本当に良かったと心の底から嬉しく思いました。
お母さんのおかげで私はいつの間にか元気になっていました。帰りの車の中でも私のことを気遣ってくれていたのかずっといろいろなお話をしてくれました。おしゃべりをしているうちに私の寮にも到着し、お礼を言ってお別れをしました。そして、また会う約束もしました。その時点で私はとてもほっこりとした気分でした。
しかし自分の部屋に戻り一人きりになると、どうしても彼のいない現実を突きつけられているように感じてしまい、虚しくなってしまいました。それから今まで以上に勉学に励んでみたり、日本の友達に電話をして話を聞いてもらったりとしてみましたが、やはり気分は晴れませんでした。何をしても彼のことを思い出してしまい、ただただ寂しくなってしまうのです。
心にぽっかりと穴が空いてしまったような気持ちになるのは初めてでした。
少しでも気分転換になればと、遊びに誘ってくれた友人たちと外へ出かけてみても、バスの中や電車の中、お店の中でもそこら中でカップルの姿を見かけるとやはり彼を思い出してしまい、素直に楽しむことができませんでした。友人たちにはとても感謝していましたが、一人で部屋に籠ることが多くなってしまいました。
彼がそばにいないだけで自分が壊れていくようで、自分でもおかしいとは感じていましたが彼の存在がどれほど大きなものであったか改めて気づくことができました。
そんな日々を送っていたある日、彼のお母さんから連絡が来ました。もし良ければ家に遊びに来ないかという内容でした。私はもちろん行きたいと返信をし、後日遊びに行かせてもらえることになりました。そして、久しぶりにお母さんの顔を見るとても安心しました。一緒にいると本当に心地が良くて、まるで彼と会っているようでした。
今までぽっかりと空いていた心の穴が塞がったように感じました。その日を楽しく過ごさせてもらってから、なんだかとても元気になりました。笑顔が増え、友人たちともたくさん遊びに行けるようになりました。お母さんはわたしを本当の娘のように扱ってくれ、感謝の気持ちしかありませんでした。
私もすっかり元気を取り戻し毎日楽しく生活していると、またお母さんから連絡が来ました。今度は食事に行こうという内容でした。この誘いにももちろん乗り、会いに行きました。この日も楽しくおしゃべりをしながらご飯を食べ、幸せを噛み締めていました。
しかし、もうそろそろ帰ろうか…となった頃、お母さんが深刻そうな顔をし、こう言いました。「実は、今度引っ越すことになったからあなたと会えるのは今日が最後なの。ごめんね。」これを聞いて私は言葉を失いました。また一人、心の支えとなる人がそばからいなくなってしまうのかと思うととても辛かったです。そして、また涙を流してしまいました。
私はいつからこんなに泣き虫になってしまったのでしょうか。
今までの感謝の気持ちを伝え、ついにお母さんともお別れをしました。そして、以前お母さんが私に言ってくれた「あなたは強い子だから。」という言葉を思い出して残りの留学生活も思い切り頑張り、楽しみました。
その後私は一年間の留学を終え日本に帰りました。結局彼とはさよならをし、彼ともお母さんともそれから会うことはありませんでした。
しかし今でも時々連絡も取りますし本当に素敵な出会いだったと思っています。外国人の彼と付き合えてとても嬉しく思っていましたが、現在では日本人の彼とお付き合いさせてもらっており、やはり私にとってはなんだかんだ日本人同士の恋愛の方が合っているかなと感じてしまいました。
あとがき
ここまでお読みいただきありがとうございました。私は正直、実際に留学をするまではアメリカへ行くにあたって不安な気持ちしかありませんでした。友達ができるかどうかという不安はもちろん、治安の面でも本当に心配でした。
しかし行ってみてしまえば何とかなるものでした。どれだけ心配しても実際に行動してみないと分からないこともたくさんあります。そして行動してみれば思ってもみなかったような素敵なことが起きることもあります。私自身も今では、勇気を出して留学をして本当に良かったと思っています。一年間もアメリカの文化に触れることができ、日本にいては絶対にできないような経験をし、私の人生は確実に豊かになったと思います。
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