【アメリカ留学】映画の世界に憧れて。ソルトレークシティでアメリカンライフ

– Today’s writer –


 名前/住まい

Mo(40代前半) /北海道

 どこの国・都市へ留学しましたか?

アメリカ カリフォルニア州、ユタ州

 留学していた時期は? 

1997年3月~1997年4月
1999年8月~2000年5月
2000年12月~2001年2月

留学を決めたきっかけとその国を選んだ理由は?


小さなころからとある疑問に駆られました。「この世の中って何だろう?」

この疑問に答えてくれるものを探したくて留学しました。全世界の約半分の人たちは「英語」を話すことができます。まず、日本から離れ、日本人以外の沢山の国の人たちとコミュニケーションをとっていけばなんか見つかるだろうと思いました。日本から出て、世界中の色々なところに行けば、何か見つかるだろうと思いました。

私は、中学生になると周りから自営業だった両親の家業を継ぐものだとよく言われ、自分もそうだろうなって思うようになっていました。ところがある日、父親から「継がなくてもよいし、自分のやりたいことをやれ。」と言われました。当たり前だと思っていたものがある日なくなり、自分はどうしたらよいかわからなくなりながらも高校に進学しました。

高校生になってある日の夜、夜の映画番組で「ハーレーダビッドゾン&マルボロマン」という映画を見ていました。その映画のラストで主人公が友人と別れハーレーに乗って荒野を走っていく場面がありました。その時、「ああ、世界ってこんな場所があるんだ。」ととても感動したことがありました。

それから自分は大人になったらアメリカに行って、そして世界中を見たら「この世の中って何だろう」という疑問の答えが見つかるかも、と思いました。まず手っ取り早くアメリカに住むとしたらどんな方法があるか、ということを調べると、「留学」というシステムを知りました。
そこからさらに調べていくと、自分で留学手続きをするより、日本の大学から海外の大学に推薦してもらっていく方が簡単だ、ということがわかりました。そこから、まず日本の大学に進学して、その大学で留学できるようにして、アメリカに行こう、と考えました。

アメリカと日本との間での大きな違いは?文化や習慣の面で驚いた点は?


日本からアメリカのユタ州に留学して、生活面で一番最初に驚いたのは、大学の広さでした。大学内の寮に住んでいたのですが、そこから授業のある教室までバスで移動しなければいけませんでした。次に驚いたのは、主食がジャガイモでした。どんな料理を頼んでも必ず「フレンチフライ」が付いてきました。

色々なことが日本と比べ寛容というか、ルーズでした。例えば、日本では「時間厳守」ですが、アメリカでは時間に遅れたということでものすごいバッシングを受けることはありませんでした。あと、スーパーの賞味・消費期限が過ぎているものもちょくちょくありました。

何より一番驚いたのが、留学先の人たちはみな「君がそれでいいなら、それでいいと思う。」という感じで自分の考えを押し付けないし、また、人の考えを批判しないことでした。


アメリカでの生活でアメリカ人だけでなく、アジアの人たちやヨーロッパの人たちとたくさんの人たちに会うことができました。アメリカでの授業は基本的に「ディスカッション」でした。自分の意見を持っていないと何もできません。自分の意見を何でもいいから必ず持って、そして発言しなければなりませんでした。時にはその意見が他の人と全く違うこともありました。だけど、そんなときでも誰も批判はしませんでした。




アメリカでの生活は「自分が自分らしくあること」ということが前提で生活をしていく必要がありました。そして人がたとえ自分と違ってもそれは「間違い」ではなく「ただの違い、または個性」ということだと学びました。

渡航先の町で見つけたおすすめの穴場スポットは?


私は、アメリカのユタ州、ソルトレイクシティに約一年いました。

ソルトレイクシティは、コーヒーショップ・カフェなどもありましたし、一番面白かったのがメキシカンフードのお店でした。友人とよく通った店で、「アルバトス」というメキシコ料理屋がありました。お店はメキシコ人がスタッフとして働いていました。英語はかなり怪しい感じで通じているのかどうかわからない時もありましたが…

そこで「スーパーナチョス」というメニューがとても気に入ってしまい、友達とよく食べに行きました。どんな料理かというと、トルティーヤチップスに牛ひき肉を炒めたものと豆とサルサソースを乗せ、さらにチーズとアボカドソースとサワークリームが乗っているもので、かなりカロリーは高く、そして量もかなりありました。



もう一つよく通った店で、大学の近くに「ソルトレイクロースティンカンパニー」というカフェがありました。とても静かな店で、住んでいる近隣で唯一日本に近いタルトケーキが食べられる店でした。ここは週一位で通っていました。時々、お店の中でライブなどもやっていました。



この二店舗は、地元の人か学生でないと知らない店かもしれません。

滞在先の環境面は?どんな所に住んでいたの?


私は、大学の中にある寮に住んでいました。寮といっても、一つの部屋に何人も住んでいるのではなく、4人組の大部屋の中にきちんと個人の部屋があって、トイレとシャワーは共用で使うタイプの寮でした。部屋では特にこれといったトラブルもなく、あまり交流もなかったので会っても挨拶をするぐらいでした。

食事は、食堂がありそこで朝・昼・夜とご飯を提供されます。食事は、いわゆるファストフード系でした。ハンバーガー・ピザ・フレンチフライ・あとは肉系のものやサラダといった感じで、時々魚もありました。最初は面白がって食べましたが、すぐに飽きました。レストランやカフェの開拓は必要です。


ユタ州という場所柄もあり、お酒やたばこを領内に持ち込むのは原則禁止でした。タバコを吸うなら建物から離れた喫煙所で吸う、お酒はパブやバーなどのお店で飲む、などいろいろ嗜好品に関しては厳しかったです。もし、お酒やたばこが好きな方がユタ州に行くのであれば、注意が必要です。あと、屋外ではお酒は飲めません。

「ソルトレイクシティ」はどんな街?


ユタ州は、先述のようにお酒・たばこは厳しいです。しかし、ユタ州はアウトドアが大好きな人間にはとても天国のような場所です。もし、ボルダリングやロッククライミングなどが好きな方は、ソルトレイクシティからちょっと車で走れば、レッドロックの続く広大な土地で好きなだけ登ることができます。

ユタ州には大きな自然国立公園がいくつもあり、中には映画の舞台でよく出てくる「モニュメントバレー」があります。夏は、国立公園をハイキングしたり、キャンプに出掛けたりして自然を満喫することができます。


また冬は、冬季オリンピックの会場にもなったようにウィンタースポーツも楽しむことができます。大学から車で一時間走ったところで大きなスキー場がありました。私や友人は、午前中はスキー場、午後から大学の授業に出掛ける、みたいな過ごし方をしていました。ただ、冬になると松葉杖をつく人も多くなっていました。

ユタ州のソルトレイクシティは、自然を満喫したい人、とにかくアウトドアが好きな人には天国のような場所でした。



留学の感想&読者の皆さまへアドバイス!


アメリカという国は、私にとってそれまで「当たり前」と思っていた「先入観」を取り外してくれた場所でした。自分は自分のままで好い、自分らしく生きる、といったことを教えてくれた場所でした。日本の中での当たり前というものは、もっと広い場所に出た時、それは当たり前ではありませんでした。しかし、それをだれも否定はしませんでした。

人生の中で自分の生まれた場所から離れ、違う土地に行き、そこに住む人たちと話し、同じものを食べ、また他の土地から来た人たちと一緒に過ごすという行為はこれからの人生にたくさんのことをもたらしてくれると思います。

また、アメリカは本当に大きな国でした。ひたすらまっすぐ続く道路、赤い岩が広がる荒野、食事を頼めば必ずついてくるフレンチフライ、色々な国の人たちが一緒に同じ町で生活していました。


もしまた機会があれば、アメリカに行ってあのまっすぐな道路をひたすら走って旅をしてみたいなっと今も思います。

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