– Today’s writer –
名前/住まい
Runa(20代前半) /東京
どこの国・都市へ留学しましたか?
アメリカ アーカンソー
留学していた時期は?
2013年8月~12月
留学を決めたきっかけとその国を選んだ理由は?
留学自体は大学受験前から決めていました。幼稚園の頃からネイティブの先生に英会話を習っており、いつか現地でもネイティブの先生からじっくり英語を学びたいとずっと思っていたので、留学ができて単位として生かせる大学しか志望していなかったので、留学前提の大学受験でした。
行く先も当時アメリカの田舎育ちの先生に習っていた影響が大きく、そこでの生活や文化に触れたいと思っていたことから、自然が豊かで穏やか環境であったアーカンソー州に決めました。
アメリカと日本との間での大きな違いは?文化や習慣の面で驚いた点は?
4ヶ月間寮に住んでいたのですが、昼夜を問わずいつでも部屋の鍵が開いていたことには、とても衝撃を受けました。ただ、その習慣は寮だけではなく、一軒家に住む子も同じだったので、共通の習慣のようでした。セキュリティやプライバシーを気にして、閉鎖的になってしまうことに当たり前になっており、日本では絶対にできない行為です。
そのため、この習慣を最初は受け入れられず、「なんでそんなに自分の空間をオープンにして平気なの?」と疑問に感じていました。
ただ、現地の子たちが、いつでもだれでもウェルカムで、誰が来ても歓迎して気兼ねなく接するフレンドリーで、オープンな関係性が当たり前な国だからこそなんだと教えてくれました。
もうひとつ驚いたことは、年齢や性別関係なく、皆自分の意見を持っていて、それをはっきり伝えることが当たり前にできることでした。日本人はつい遠慮してしまい、周りに合わせたり、控えめだったり、意思をはっきり表に出すことが苦手ですが、アメリカではそんな人はほとんどいませんでした。
むしろ当時のクラスの先生からも「もっとどうしたいのかはっきり言いなさい!」と叱られたことが多かったです。
渡航先の町で見つけたおすすめの穴場スポットは?
私が滞在していたアーカンソー州のフォートスミスは、都市部ではなかったため、日本食のレストランがほとんどなく、唯一あったのが寮から車で10分ぐらいの距離にあった「Fuji」というお店でした。日本の回転寿司では100円ほどで食べられるお寿司が、300円ぐらいになっており少しお高めでしたが、そのため学生が少なく落ち着いた雰囲気なので、そこでひっそりと日本を思い出していました。
滞在先の環境面は?どんな所に住んでいたの?
普段生活していたのは4人で1部屋の寮でした。キッチンとリビングは4人で共用でしたが、バス・トイレは2人ずつで共用、そして1人ずつの個室がある間取りでした。キャンパス内には、もう1つ寮があり、その寮は4人1部屋で、バス・トイレはすべて共用、キッチンは各階にあるラウンジにのみある状態でした。
その寮のほうには留学生が多く滞在しており、わたしがいた寮には現地の学生のほうが多くいたので、必然的に英語を聞いて話さなければいけない状況にあり、とてもいい訓練になりました。キャンパス内にはジムやカフェテリア、フードコートもありました。気分転換に運動ができ、朝、昼、夜の食事も全部困らなくて、キャンパス内の設備は充実していました。
また、カフェテリアではよくフードイベントを行っていました。月に1回、「midnight breakfast」といって、普段は閉まっている深夜帯にカフェテリアがオープンしており、ワッフルやオムレツ、パンなどの朝食メニューが食べられるイベントや、ベトナム出身の留学生がメニューをプロデュースしてくれた「Vietnamese dinner」、私達日本人でも同じようにメニューをプロデュースした「Japanese food festival」もありました。
このカフェテリアで先生や、スタッフ、現地の学生と会話する機会が多かったので、英語の上達につながっただけではなく、コミュニケーションの取り方を学ぶことができたり、意見交換の場にもなったりと、有効的な場でした。
「フォートスミス」はどんな街?
滞在していたアーカンソー州のフォートスミスは、州境にあり、州都のリトルロックとは離れた距離にある町です。森や動物が多く、自然が豊かで、日本では都市部に住んでいたわたしにとっては新鮮な環境でした。
普段は寮住まいだったものの、週末だけホームステイできる制度があり、わたしは5人の子供たちがいる家庭にお世話になっていました。その家族に週末よく遊びや買い物に連れて行ってもらいました。森の中にあるアスレチックや、ターザンロープで滑って、空を飛んでいるようなアトラクションを体験できたり、ロデオを見に行ったり、家族が飼っている馬に乗ったり、アウトドアな経験がたくさんできました。
スーパーやショッピングモールがキャンパスから離れていたため少し不便でしたが、そこにも車で連れて行ってもらいました。基本的に車社会だったので、どこに行くにも徒歩や自転車では遠くて不便でしたが、こうして現地の家族や学生が連れて行ってくれることが定期的にあったので、生活には困りませんでした。
留学の感想&読者の皆さまへアドバイス!
この留学では得たものは、英語の上達だけではなく、周りへの感謝や自立すること、どんどん自分から発信していくことなど精神的な成長を感じられた経験が多くありました。日本にいた時は実家暮らしだったため、自分ひとりで生活をしたことがないので、病気になったときはもちろん、普段の生活も自分でやりながら、英語の勉強をしていく大変さを感じて、普段どれだけ家族に助けてもらえているかを実感しました。
アメリカに来た当初、日本食が食べられていなくて、食生活に馴染めない時期があったとき、その話を母になにげなく話したところ、週末には日本のインスタントで食べられる物やお菓子、お茶などが詰まった荷物が届きました。その時、離れていても自分を心配して気遣ってくれる家族のあたたかさを感じて、家族に対してこれまで以上に感謝でいっぱいの気持ちになりました。
授業では、英語をうまくなるためにも、自信がないから話せない、言えないと思って、引っ込みがちになるより、「わたしはこうしたい、こう思っている」と少しでも口に出していくことは必要なことでした。おかげで、帰るころには日常会話程度であれば、問題なく聞き取って話せるようになっていました。そして当時の影響により、今では仕事においても、物怖じすることなく、自分の意見をはっきり伝えることができています。
前に進むために、自分を成長させるためには、周りを気にして、自信のなさから消極的になってしまうのではなく、どんなにつたない言葉になったとしても、他人に自分の思いを伝えようとする姿勢を見せていくことがとても大事なのだとこの経験で体感したことで、今の自分があると思っています。
異国で生活することは、自分自身を大きく変えるチャンスですが、ただ行くだけでは何も変わりません。行った後に現地での自分の行動、感じたこと、得たものでいかに自分を成長できるかで、もっと実のある経験になって帰ってこられたと実感できると思います。日本では知り得ないことが、海外にはたくさんあります。
沢山出会って、見て、話して、知って、そこから得た「気づき」で、素晴らしい経験にしていくことで、「留学」をした意味があると思います。
知らない言葉が飛び交っているし、知らない環境、知らない人が多くて、最初は怖くて踏み出せない気持ちになると思います。わたしもそうでした。ただ、そこでこのままでいいのか、なにしに来たんだっけと、自分が留学したかった理由を、そこで思い出してみてください。
今そこで踏み出すか、出さないかで、帰った後「なりたい自分」になれているか、想像してみてください。伝わらなくてもいいから、伝えようとすることを見せることが大事です。周りはみんなそんな怖くありません、みんな何が言いたいのかわかってくれようとします。そこからだんだんと環境にも慣れてきて、英語が話せるようにもなります。
留学は、あなたの「踏み出す一歩」で大きく変われる経験になることでしょう。
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