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アメリカへの留学体験 カタコト英語が全く通じなかった悲劇と一番最初に学んだアメリカ人を怒らせたフレーズ!

– Today’s writer –

 

名前/住まい

Shinomiy(40代前半) /フランス アキテーンヌ

今回ご紹介いただく国は?

アメリカ ロサンゼルス

滞在していた期間は? 

2000年~2003年

 

カタコト英語が全く通じなかった悲劇と一番最初に学んだアメリカ人を怒らせたフレーズ!

 

私がアメリカ留学をしたのは、今から19年前の2000年の夏。

 

1998年に経験した大失恋がキッカケでアメリカ留学しようと心に決めました。既に社会人だった私は、その新しい夢の為に必死に働いて留学資金を貯めました。留学する為に必要な手続き、学校検索、ビザ取得等、全く知識がなかった私は、アメリカ領事館へ通ったりしながら仕事の合間に情報収集をしたりしました。

 

当時は、インターネットでの情報検索が今のように便利ではなかったので、何度もアメリカ領事館に通いました。

 

 

留学するつもりでいる人達は、きっと英会話に通ったり英語の勉強を事前にしておく人がほとんどだろうと思いますが、私は勉強が大嫌いだったのと当時勤めていた職場が肉体労働だったのも手伝って、英語の勉強なんて全くしてませんでした。楽観主義者、怠け者の私は、あろうことか職場の同僚達と休みの日には遊びまわっていました。

 

アリゾナに留学していた弟が、時に

 

「ちゃんと英語の勉強してる?しておいた方がいいよ。」等とアドバイスをくれるにも関わらず、英語の勉強なんて、留学した時にやればいいじゃないか!!と思っていました。

 

英語を取得する為に心に決めたアメリカ留学でしたが、全く心の準備と言うものが出来ていなかった当時。待ちに待った学生ビザを取得した時は喜びに支配され、お祝いと託けながら職場の人達や友人達と飲み歩く始末。今思えば本気で留学を夢見ている人達には、申し訳ない気持ちで一杯です。

 

2000年の秋、アリゾナ留学から里帰りしていた弟と共にアメリカのカリフォルニア州ロサンゼルスのLAX空港に降り立った私。吸い込む空気、匂いが日本と全く違うと感じたのを今でも覚えています。

 

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空港を出ると、何処までも高く澄んだ青空。乾いた空気が肌の水分を蒸発させているような感覚。通り過ぎて行く人達が交わしている英語の会話。何を話しているのか、さっぱり分からないが、何だか特別な気分で聞き入ってしまいました。空港には、親切にも弟の友人が迎えに来てくれていた。「ハロー。マイ ネーム イズ ・・・。ナイス ツー ミート ユー。」と思いっきり日本語英語で挨拶した自分に弟は呆れた顔。

 

弟の友人は、私が選んだ語学学校がある街アルハンブラに住んでいたので、私の面倒を見る子守役を弟から頼まれていた。留学準備が出来ていなかった自分は、前もって住む所なんて準備している訳もなく、現地に行って現地で探すという何とも強引な方法を考えていたので、弟の友人は宿泊先が決まっていない私達兄弟を車で自分のアパートの近くまで送ってくれた。

 

アルハンブラのモーテルまでスーツケースをゴロゴロと転がしながら歩いた。

 

何故、このロサンゼルス郊外にある小さな街「アルハンブラ」を選んだかと言うと、まず弟の知り合いが数人その街で暮らしていると言う利点と物件が安いと言う利点を考慮し語学学校の有無で、その街に決めた。本当に適当すぎて当時の自分が嫌になります。

 

 

いかにもアラビアンな名前を持つ街「アルハンブラ」。

 

 

アラハンブラの街に降り立つと、名前の通りアラブ人が沢山いた。また、中国人、台湾人も多く、カリフォルニアに来た筈なのにアメリカではないようなショックを受けました。

 

映画の観過ぎだと弟に言われたが、ロサンゼルスと言えば、「ハリウッド」とか「ロデオドライブ」とか「ビバリーヒルズ」とか映画に出てくるようなイメージを持っていたのでアルハンブラに降り立った瞬間、英語の勉強をするというモチベーションが下がりまくりました。

 

聞こえてくる英語は、映画の様な発音の良い英語ではなく、どこかの国のアクセントが強い英語ばかり。英語を話しているのに英語に聞こえない。

 

イメージと異なったその世界に幻滅したと言うのが正直な感想です。

 

 

到着当日は、モーテルの近くにあった「マクドナルド」で簡単な夕食を取ることになった。マクドナルドに入ると、弟はさっさと彼の注文を済ませた。

 

「自分の注文くらい自分でしろ」

 

と弟に言われ、アメリカでの初の注文。

金髪で笑顔の可愛い女の子がカウンターの中でニッコリ微笑んでいました。

 

「キャン アイ ハブ ア フライドポテト プリーズ」

 

という私に、ウエイトレスの彼女は「???」の状態でした。私は、そのフレーズを何度も繰り返した。

 

「ポテト、フライド ポテト アンド サラダ」

 

何度繰り返しても彼女に通じず、その瞬間、英語の勉強をしてこなかった事を深く後悔した。

 

状況を見かねた弟は、仕方ないと

 

Can I have french fries and Salad,please.(フライドポテトとサラダをください)

 

 

と、救いの手を差し伸べてくれた。

「フレンチ・フライかぁ~!!フライドポテトじゃ通じないんだね~。」

と何ともお気楽な姉の言葉に「我が姉ながら、天晴れだね。」と呆れられた。

そんなこんななアメリカ留学の始まり。

 

 

 

そんなこんななアメリカ留学の始まり。

 

次は、モーテルの部屋に置いてあった新聞でルームレントを探す。

 

ルームレントとは、家に空き部屋がある人が空いてる部屋を安くで貸し出している物件なのだ。トイレやバスルームは合同で使うシステムになっている。部屋の相場は様々だが、安いもので一月200ドルから400ドルのモノまである。一年留学の予定で渡米してきた私は、勿論ルームレントを利用することにした。

 

到着翌日からルームレントを探す。4件目に電話で問い合わせたオーナーが「部屋を見に来ても良い」と承諾してくれた。モーテルから歩いて30分程に位置するその家。

 

その家の位置する通りに到着すると、大きな木が立ち並んでいた。

 

ズラッと立ち並ぶ大きな木の下を歩き、その家に到着。その時点で私は、その通りが気に入ってしまった。

 

ルームレントの部屋を見学する前に「ここにする」と言う姉を弟は

 

「ちゃんとオーナーに会って決めろ!後で後悔するぞ。」

 

と、言いなだめる。どっちが年上なのか分からない。

 

オーナーは台湾で音楽活動をしている35歳(当時)の男の人だった。勿論、台湾人だったが国際的に活躍している人だったようで英語レベルはアメリカ人並み。すごく親切な人だったので弟も安心したようで、その人の家の部屋を借りることにした。

 

月に250ユーロで家具付き。悪くなかった。他の部屋にもルームレントをしている台湾人女性がおり、一人じゃないと安心出来たのも決め手になった。語学学校は、その家から歩いて10分。パーフェクトでした。ただ、スーパーマーケットが遠かった。が、当時の私は、そこまで機転が利かなかった。

 

 

住む場所も決まり、語学学校の「手続き」「支払い」の手伝いを済ませた弟は、アメリカに到着して3日目の姉を一人置いてアリゾナへと帰って行った。

 

「あれ?一週間くらい一緒に居てくれるんじゃないの?英語全く分からないし、しゃべれないんだけど、どうすればいいのよ、私。」

 

と聞く姉に

 

「何しに来てるの?ここに。お前が自分で決めて留学してきたんだろ。後は自分でどうにかしろっ」

 

 

と、突き放す弟。当時は「冷たい奴だ。」と腹を立てた。が、考えてみると弟の言う通りだと思う。英語習得の為に留学して来たのに、その自覚が全くありませんでした。慣れない留学生活も、日本とは全く異なった雰囲気と空気のお陰か、ホームシックに陥る事など一度もなかった。

 

語学学校のクラスには、驚く事に日本人を始めアジア人が多く、先生達以外はほぼ外国人ばかり。まあ、確かにアメリカ人が語学学校に英語を習いに来ることはないだろうから、生徒の中にアメリカ人がいないのは、当たり前ですね。

 

日に日に学校にも慣れ、日本人の友達も出来て楽しい留学生活を送っていたけれど、しばらくすると自分の中で「何かが違う」と感じました。英語を勉強しにこの地へやって来たのに、周りを見渡せば日本人に囲まれている。

 

留学して3ヶ月程経った時に、やっと、「外国人の友達を作るべきだ!!」と私は本気を出し始めた。間違った英語でもいいから、英語で会話をするようにしよう!!限られた一年間の語学留学を無駄にするところだった。

 

間違ったら恥ずかしいなど言ってられない!!

 

それからは、同じクラスの外国から勉強しに来ている人達と交流を深めて行った。

 

そんなある日、同じクラスの友人から「バースデイ・パーティー」に招待された。

 

 

アメリカに着いてから初めて招待されたパーティー、何を着て行こうかと洋服屋に駆け込んだのを今でも覚えている。夕方から始まったパーティーには、友人のお姉さんの友人達も来ており、にぎやかなパーティーだった。

 

一通り、皆を挨拶を交わしたけれど、英語がまだ聞き取れない自分は孤立してしまい、バルコニーに出た。そこに一人の男性が外の景色を見ていた。最初は黙っていたが、その沈黙が異様に気まずく、思い切って話しかけてみた。

 

 

最初に掛けた言葉。

 

「Are you boring?」

 

その男性は、ハッとして私の顔を怪訝な顔で見ました。

 

 「You think so?」(君はそう思うかい?)

 

と少し怒ったように返した来たので、私は内心ビビり上がりました。


「Yes, because you look boring.」

 

と追い討ちを掛けるような返事をしてしまった自分。

相手は鼻をフンと鳴らすと私を呆れたように見ました。そして

 

「Really.」(そうかい。)

 

とだけ言うと、そっぽを向いてしまった。

 

当時の私は「この人何で怒ってんの?機嫌が悪かったのかな?」と思ったのですが、彼の機嫌を損ねたのは、紛れもなく私だったのです。私は事もあろうに

 

「Are you boring?」(あなたは、退屈な人?)

 

と聞いており、その後、追い討ちを掛けるように

 

「because, you look boring.」(なぜなら、あなたは退屈な人に見える)

 

と、言ってしまっていたのです。

 

運よく友人がバルコニーに出て来て、その場の空気が重たいことに気づいたのか、その男性と話始め、重たい空気はどこかへ流れて行ってくれましたが、その男性は、その後私とは一言も口をきいてくれませんでした。私は何故その男性が不機嫌になったのか全く理解できないまま帰りました。

 

 

それから、しばらく経った頃、その友人のお宅へお邪魔した時、その不機嫌になった男性と再会しました。

 

彼は、あの夜の事はすっかり忘れてしまっているかのように笑顔で挨拶をしに来てくれました。

 

そして笑顔で

 

「Yes, I’m boring.」

 

と挨拶に付け加えて大笑いしました。彼が何について笑っているのか理解出来ずにいたら友人が、私が彼に放った質問の意味を解りやすく説明してくれ、何故その男性が機嫌を損ねたのか、と言う理由をやっと理解できたのです。

 

確かに初めて会った人に「あなたは、退屈な人?なぜなら、退屈な人に見えるから」と言われたら、それは機嫌も損ねるはずだ。

 

 

私は彼に遅すぎる謝罪をしました。

 

幸運にもその男性は気さくな人で、私の無礼を笑顔で許してくれ、アメリカ留学中には色々とお世話になりました。

 

そうやって、アメリカ留学は思った以上に楽しいものとなったのです。上記を始め、初のアメリカ留学で沢山の事を学びました。勿論、学校での勉強も大切でしたが、それよりも沢山の人達との会話や交流が何よりも勉強になりました。

 

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あとがき

 

何処の国へ留学するにしても、やはり心をオープンにする事は大切な事だと思います。現地の人と「話すことが恥ずかしい」、「もし違って理解してもらえなかったら」等という心配は、持たないほうが良いと思いました。ある程度、語学を学んで留学した方でも、やはり発音などの違いで、会話が成り立たなかったり、理解してもらえなかったりします。けれど、めげずに話しかける。語学を学んで行く上では、”間違ってなんぼ”なんだと実感した留学でした。この留学体験で、笑われたり怒られたりしながら良い方へ成長出来たと思います。