ここはどこ?第二の故郷アメリカで感じたアジアとアメリカ人の優しさ

– Today’s writer –


名前/住まい

Megumi(30代前半) / 東京

今回ご紹介いただく国は?

アメリカ ロサンゼルス

滞在していた期間は?

2010年8月~2012年5月

ここはどこ?第二の故郷アメリカで感じたアジアとアメリカ人の優しさ


ん?あれ?漢字がいっぱい…ここアメリカだよね?これが私の2年弱の留学生活の第一印象でした。

私がロサンゼルスに留学したのは大学を卒業してすぐでした。日本の大学ではアメリカ文化を専攻していたので、実際にアメリカでの生活を経験したくなったのです。よく見ていたドラマの影響もあり、ロサンゼルスの印象は、まさにハリウッドと、サンタモニカビーチ!だったのです。
しかし、実際に最初についた町は中国人が多いところで、英語よりも漢字の表記があふれている街並みでした。あまりの衝撃に一気にホームシックにかかりそうな予感がしたのを覚えています。

カレッジが始まる前に1カ月通った語学学校も、9割が中国人なのです。私は何かを間違えて中国に来てしまったんだ。そんな気持ちのまま1週間はあっという間に過ぎていきました。なかなか馴染めないでいた私に気付いてくれたのは学校の先生でした。


とても良くしてもらい、放課後はそれこそアメリカらしいモールやビーチに連れて行ってもらい、国籍問わず友達もできてきました。それからぐっと世界が広がり、本当にアメリカに来ていたのだ!と実感できるようになりました。

言葉と生活に慣れると、全く知らないアメリカ人のフレンドリーさに触れる機会がすごく多くなりました。スタバでコーヒーを飲んでいるだけで、知らない人に話しかけられるのです。
「その靴かわいいね!どこで買ったの?」から、「あなたの読んでいる本、私も前に読んだわ!これもおススメよ!」なんて会話まで、いきなり飛び込んでくるのです。日本ではあまり考えにくいですよね。



私がそんなロサンゼルスの人々に救われた瞬間は、日本を東日本大震災が襲った時でした。幸い、私の家族は被害も少なく、みんな元気でした。でも、衝撃が大きく、家族と連絡がなかなか取れず心配な思いをしました。
そんな中、学校の先生から、友達、一度接客してもらった銀行窓口のお兄さんまでもが、私と周りの様子をうかがう連絡をくれ、励ましてくれました。凄く心強く感じたのを覚えています。


それだけでなく、「日本人?大変だったね。日本のために祈っているよ!がんばれ!日本!」そんな言葉を毎日かけてもらいました。それも、全然見ず知らずの通りがかりの人たちで、一人や二人ではないのです。ロサンゼルスの人々の温かさに触れた瞬間でした。住んでみないと味わえないロサンゼルスを感じて、今では大切な私の第二の故郷です。

そんなロサンゼルスでの生活はびっくりすることがたくさんありました。中でも一番大変だったのは家探しでした。最初はホームステイをしていたのですが、学校がカレッジに変わる時に自分で住むところを探し、引っ越しをしました。

お部屋探しといっても、日本のように不動産屋さんに行ったりするのではなく、掲示板やインターネットを使って、部屋を貸したい人を探したり、ルームメイトを探すのです。最初はメールでのやり取りで、実際に見に行き、両方で合意ができれば借りられるのです。私は運よく、3件目で良いところが見つかり、引っ越すことができました。

最初に見に行ったところはリビングにカーテンで仕切りをつけて、3人で一つの部屋を使っているというビックリな環境でした!意外とそういうところも多く、学生同士でルームシェアしている人は少なくありません。自分のスペースはソファーの上だけというクラスメイトもいました。
実際に学校のクラスの友達は、ルームメイトが日本人というところを信用して、そのような環境でルームシェアをしていましたが、トラブルが多くすぐに新しい引っ越し先を探していました。

二件目に見たお部屋は、遠くの大学に行った娘さんの部屋が空いたためにその部屋を貸し出したい、というおばさんでした。行ってみてびっくり!家じゅうが猫屋敷でした!猫は我慢できそうなのですが、見るからに治安が悪い場所で、一緒に見に行ってくれていたアメリカ人の友達に「殺されたくなければやめたほうがいい!」と言われました。
アメリカでは、自分の身は自分で守るしかありません。

少しでも、違和感を覚えたら踏み込まない!これが鉄則です。
実際に2か月くらい後にそのお宅のすぐ近くで大学生が被害にあった事件が起き、ぞっとしたのを覚えています。

三件目に見に行ったおうちは、アメリカ人のシングルマザーで2歳と4歳の男の子のいるおうちでした。離婚調停中で、一部屋空いているところを貸し出して、副収入にするのが目的だそうです。なので、彼女は彼女で最初メールと電話でやり取りしていた時からしっかり私がどんな人間なのか見極めようとしているのがわかりました。小さな子供と3人で暮らしているのだから当然のことです。


でも、一目会うなり、「思っていた通りの子だわ!」といって歓迎してくれました。周囲の治安もよく、学校からも遠くなく、何よりアメリカ人のルームメイトができるなんて、最高な環境でした。
子供たちと、ルームメイトともすぐに仲良くなり、毎日何気ない会話ができることが1つの楽しみでした。小さな子の話す英語はすごく難しく、とても語学力を鍛えられたのもいい思い出です。

後から聞いた話ですが、最初にお部屋を見に行った日の朝、ルームメイトは夢を見たそうです。「今日私のルームメイトになる子が来る!」と夢の通りになったの!と教えてくれて、とてもうれしかったです。
なんと、私で6人目の候補者だったとか…部屋を貸すほうも大変だなと思いました。

ルームメイトとは友達のような、姉妹のような、母娘のような関係を気づきことができ、一年ほどでしたが、一緒に過ごせたことでとても貴重な時間を得ることができました。

彼女とたくさん話をしたおかげで、いろんな表現を覚え、英語を話すことも自然とできるようになりました。「アメリカではこうなのよ!日本では?」そんなやり取りから、彼女の仕事の話、学校の話、家族の話まで。アメリカでの生活や文化を体験したくて留学を決めた私にとっては一番いい環境だったなと思います。

子どもたちとは、日本語や日本文化を教えたりして過ごし、またそれをすぐに覚えて日本語で話しかけてくれるのです。一緒に出掛ける機会も多くあり、たくさん思い出ができました。アメリカでできた一番小さな友達です。




本帰国して数年後に改めて訪ねたのですが、その時に二人ともすごく大きくなっていて驚きました。でも、しっかり覚えていてくれて、以前と同じように駆け寄ってきてくれました。かなりタイトなスケジュールに合わせて会う時間を作ってくれたのでお礼を言うと、

「久しぶりに家族に会えるんだから当然だよ!」と子供たちが言ってくれて思わず涙が出るほどうれしかったです。一年の間に助けられたのも、救われたのも私の方だったのに、このように思ってくれているのがとても意外で驚きました。でも、異国の地でこんな人間関係を作れていたことに誇りを感じました。

あとがき


全部通して、1年10カ月という短い留学生活でしたが、たくさんの人々に支えられた貴重な時間でした。アメリカでは、日本では当たり前のことが当たり前ではなく、危ないことも日本以上に隣り合わせの国でした。でも、とても依心地が良く、帰国後にホームシックになるほど、私には合う環境でした。

当初は言語習得が目標でしたが、言語以外に学んだことや経験したことを通して、精神的に成長できたことのほうが、今となっては大きな財産です。またいつか絶対に、帰りたい!そんな場所があることがとても幸せです。

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